モノトーンだった俺の視界が色付き始めたんだ.com

最近話題になっているニュースや感じたこと、読んだ本などを記事にします。このブログは個人的に調べたり感じたりした事を記事にするだけなので、全ての情報が正しいとは限りません。

頭の固い大人と柔軟な大人の違いって一体。

   未だにニートが悪だと信じている大人が沢山いる、そして現代人のコミュニケーション能力が年々下がっているという大きな勘違いをしている大人が身近にいて正直驚いている。それどころか彼らは自分が現代の若者よりも能力が上だという錯覚に陥り、自惚れている。果たしてそれは正しいのだろうか?

 


まずはっきり言って今の若者のコミュニケーション能力は上がっている。しかしそこには今の大人の求めるコミュ力(りょく)は無いだろう。でもそれは決して間違ってはいなくて、時代によって求められる能力は必ず変わるので、昔のようなコミュ力を持っていたとしても現代ではなんの役にも立たない。

 


高度経済成長時代はみんな同じぐらいの学力が求められ、同じ様な職業に就くのが当たり前だった時代。だが現代社会は仕事がかなり多様化していて、マネタイズできる物が無限の様にあるので、平均的な能力というのは無価値な存在になる社会。そこで言いたいのが、まずコミュニケーション能力が必ずしも必要とは限らないという事。

 


ネット社会では人と直接話す事が無くても仕事が出来る。だから全ての人がコミュ力を持っている必要は決して無いと思う。

だからこそ、今の若者はコミュニケーションをしないという時代遅れな大人の言い分はまったくもって論点がずれている。

僕の身近に、今の若者はパソコンしか見なくなり周りとコミュニケーションを取らなくなり、家に引きこもり最後は孤独死すると真剣に言っている大人がいて正直笑ってしまった。

 


今も若者の支持を受けているインフルエンサーと、同世代なのにこんな考えを持っている大人との分岐点は、やりたい事を仕事に出来ているかどうかという所にあると思っている。

日々パソコンに向かっているニートは言い換えれば、やりたい事に夢中になって取り組めている人である。それに対して違を唱える大人は、自分が仕事を選べなかったがために好きな事を夢中になって出来ている現代人に嫉妬しているのでは無いだろうか。しかしそういう大人はブログを読まないのでこの記事も彼らには伝わらないだろう。。

 


それから、親の金で暮らしている事も悪とみなす大人がいる。これに関しても言いたい事がある。

こういう事を言う大人は、親の金で生活して自分では働いていない事は人として駄目だと思っているようだが、それは彼らの時代はそれが正しかったのだろう。労働するのが国民の義務だった時代を生きた親に育てられればそんな思想にもなるだろう。しかしそんな幻想は今の時代には通用しない。

 


コンビニのバイトだってやらない人が増えれば時給が増えて本当にやりたい人が充実して仕事に打ち込めるのだ。働かなくても生活できるくらい資産があるなら働かずに好きな事をやっていた方がよっぽど人の為になる。

やる気の無い人が職場にいても足手まといでしか無いはずだ。

 


そしてそれだけ貯金が眠っているならそれを使わずにタンスにしまっている方がよっぽど経済が停滞して社会の為にならない。そう考えるとやはり親の金で生活しているニートが駄目人間だと言う大人の発言は全く的を得ていない。

もちろん中には本当の駄目人間もいるだろうが、それが現代人の全てだとは思って欲しくない。

 


※僕はニートではありません。。